ユリテラシーと現代

当ブログでは百合・GLについての考察や、個人的にいいな、と思った作品を紹介できればなと思います。

百合に女性同士の葛藤は必要なのか

どうも!ユリテラと申します。

今回の記事は長年テーマにされてきた、

「女性同士の恋愛を表現する際に同性同士であるという葛藤が必要」

という事について書いていきたいと思います。

GL(ガールズラブ)作品についてですね。

結論から言うと

時代を短期的に見れば必要で、長期的に見れば葛藤を描写する必要が無くなる

というのが個人的な見解です。

 

何故なのか?という方の為に語っていきたいと思います。

 

 

 

  • 短期的に見た場合 百合に葛藤が必要

 

なんでなん?という声もあると思いますが、というのも、

 

同性愛者は存在する という事実が例えば現代だったら常識的に信じられている概念や価値観は科学ですよね(昔は神様でした)

 

科学的根拠に基づいて同性愛者は存在すると言われても、信じない人はまだまだ沢山いると思います。

そういった方に向けた説明の為に「女性同士はなんておかしいよね、でも好きだからしょうがない」というスタンスを取る必要がある。と言う事が出来ると思います。

 

 

個人的に別におかしい要素などなく、人間の脳は人によってまったく異なるので、男性だから男性の価値観、女性だから女性の価値観などの、どちらかの価値観を必ず持っている必要性などないからです。

 

しかしまだまだ理解されている訳ではないので、あくまで男女の恋愛が普通であり、同性同士の恋愛は特殊なんだという価値観を持っている人に向けた説明の為の葛藤と言えると思います。

 

 

それが短期的に見た場合に必要な葛藤です。

 

  • 長期的に見た場合 百合に葛藤は無くなる

 

長期的とはどのくらいなのかと言われますと時代の変化によって異なるので具体性は欠けるのですが、数十年単位で見た場合!とします。

 

 

現代でもインターネットの普及により世界で何が起きているのか把握できるようになっていますが、更に性的少数派(セクシャルマイノリティ)が先進国以外でも

ここにいるよ!と声を世界に乗せる事が出来た場合に、「あ、普通に沢山いるじゃん」と大勢の人が分かるようになると思います。

 

そうなった場合に女性同士の葛藤は特に意味をなさなくなります。

何故なら普通に同性同士である女性同士で恋愛する人が存在することが当たり前になるからです。

※個人的に恋愛のパラダイムシフトと呼んでいます。

 

 

となりますと、当たり前や常識的に普通の事で悩む人はあまりいません、2018年現代で言えば男女の恋愛である異性愛ヘテロセクシャル)が当たり前に存在する事と同じぐらい普通なのです。

 

男女の恋愛に葛藤が存在しない様に、そもそも恋愛する事に必然性や葛藤を求めるというのはどうなのかなと個人的には思います。

 

そのぐらい同性愛が認知されてきた時代であれば、女性同士であるという葛藤は作品の受け取り手である人にとってはどうでもいい事で、「そんなことより恋愛描写が見たい!」と感じると思います。

 

以上の様な認識がトントン拍子で人類の大多数が同性愛者が存在する事を把握する事ができれば、百合に葛藤を表現する必要がなくなるので、

長期的に見た場合 百合に葛藤は無くなると思います。

 

  • まとめ 時代の変化に依存する

 

2018年現在でもかなり認知されてきていると思いますが、まだまだ「百合に葛藤は必要!」と思っていらっしゃる方もいると思います。

 

ですので、短期的に見れば同性愛の説明の為に葛藤は必要だと言えると思いますが、長期的に理解する人が増えれば葛藤を描写する必要性も薄れてくると思います。

今回はここまで!ここまでご覧くださりありがとうございます!それでは

 

 

 

 

完全に関係ない事ですが、2018 10/5現在私情ですがかなりメンタルをやられている中書いた記事なので説明不足だったり、配慮に欠けていたりしたらすいません!