百合って何?意味は?それは意味を失った花畑 百合の定義
どうも!ユリテラと申します。
今回の記事は百合業界や百合界隈が抱える根本的な闇、
百合の定義について触れていこうかなと思います。
そもそも百合ってなに?という方の為に広義においての百合の定義をWikipediaさんから。
百合(ゆり)は、女性の同性愛のこと。また、それを題材とした各種作品。作品の場合、女性同士の恋愛だけでなく恋愛に近い友愛や広く友情を含んだ作品も百合と言うことが多い
女性同士である事は間違いない様ですが、友情まで含めているとなんだかよく分かりませんよね、「これは恋愛?友情?どっちやねん!」みたいな。
恋愛を求めて見ていたのに友情だったり、友情作品だと思ったら恋愛作品だったり。
人によっては友情も恋愛もないけどこれは百合!みたいな主張まで入り組んできて頭に混乱の状態異常を掛けられているような感覚です。
そこで今回は百合について語る上で外せない百合の定義について語っていこうかなと思います。
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ユリテラシーと現代における百合の定義
そこで主張したいのがブログタイトルにもありますが百合の定義。
※個人的な意見なのですが、定義はコミュニケーションを取る上で大事なものだと思います。
当ブログにおける百合の定義それは、
百合は厳格な定義を持たないが、女性の同性同士による感情や概念を細分化し、更に明示化させる機能を持つ。
という事です。
そんなもん定義でもなんでもないわ!と言う声がうっすら聞こえてきますが落ち着いてください。
はっきり言って百合はこうあるべきだという認識は元々あったとしても、今現在姿を成していません、どれだけ話を詰めても価値観の相違に終わると思います。
タイトルの意味を失った花畑とはこの事です。
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百合の花畑の話
例えるなら、百合の花畑が広い草地にぶわーーっと広がっていた百合界隈というのはもはや昔の話です。
2018年現在、別のユリ科の仲間が色々生えてきたり、まったく種類の違う花が花畑を埋めています。
誰かが別の植物に対して「やめろー!生えるな!」と叫んでも、誰も管理していない花畑、やめるばかりかますます広がりを見せます。
何故誰も管理しないのか?それは百合の定義付けをだんだんと避ける人が増えていった為です。
昔は広い百合の花畑を見に少数ですが、花畑に来ていました。
その頃はみなさん共通の認識をある程度持っていた様に感じていました。
共通の認識とは確固たる
百合の定義そのものでした、今はないように感じます。
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何故定義が消えたのか?
おそらく世界規模で起きた多様化の波と、百合業界を支えていた人の同性愛に対する認識の甘さが原因かもしれない可能性は否定できません。
多様化の波とは簡単に言えば、人の意思は自由に発言しても良い。
と言えるのではないでしょうか、いい事ではあるのですがそれを武器に他人の価値観を踏みにじる人も出てきてしまったと言えると思います。
自由とは人間が持つ上で大事な権利だと言えますが、シンプルかつ理に適った言葉とは広がれば大きなメリットにもなりますが、デメリットにもなります。
こういった多様化の波に[百合]という言葉は飲み込まれ、意味をなさなくなったのではないかと考えています。
百合は元々女性同士の恋愛を意味していたのですが、もはや百合=女性同士の恋愛に限らないと言うのが通説です。
[百合]の定義を決めることは実質不可能となってしまっているのが現状です。
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百合の細分化
ですが[百合]の定義はできないとしても、百合を細分化した概念を定義付けし、かつての百合が持っていた共通の認識を得ることは可能だと考えています。
※男性の関係性を意味するBL(ボーイズラブ)というジャンルはその事に成功しています。
そこで個人個人が持つ百合の価値観を否定する様な不毛な話をするよりも、百合の細分化。
これが共通の認識を持つ上で大きいと思います。
(百合作品の主な描写が)恋愛であればGL(ガールズラブ)
友情であればシロマンス(シスターロマンス)
トランスジェンダーの方を扱った作品、
MtF(身体は男性で心は女性)で尚且つ性的指向が女性の場合MtFビアン(身体は男性ですが心は女性のレズビアン)
と言う様に細かく分ける事が出来るのではないでしょうか?
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まとめ
- 百合は形骸化していて定義論を熱く語っても意味が無い。
- 百合が持つ性質を細かく分析。
- 細かく砕いた物を言語化か再定義
この様な考え方が広まれば、無駄な時間を割かずに百合についてより深い認識が持てる、
もしくは持ちやすいのではないかと勝手に思っていたりします。
今回はここまで!ここまで御覧いただきありがとうございます!それでは
※より詳しく言えば形骸化した共通理解や共通概念が百合です。
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