百合とはかつてエス文学だった
どうも!ユリテラと申します。
今回は百合の歴史を語る上で欠かせない重大なポイントであるエス文学について語っていこうかなと思います。
個人的に「これさえなければ・・・」と思うのですが、百合の前身と言えるエス文学は大きな影響力を持っていました、エスがあったから百合が大きく認知されたのだと言えますし、エスがあったから同性愛についての誤解が広まったとも言えます。
結論から申し上げますと、女性同士の恋愛であるGL(ガールズラブ)とエス文学は似ていますが、まったく違う性質であると言えます。
- 例えば
見た目はほぼ同じに見える、バターとマーガリンぐらい違います。
バターは牛乳を使って作られるのですが、牛乳を使ってマーガリンを作ろうとしてもバターになります。
逆にマーガリンは植物性油脂などを使って作られるのですが、同じくバターを作ろうとしても牛乳がないのでバターは作れずマーガリンになります。
根本的な性質が違うので見た目は同じだけど違うものという事ですね。
「ピンとこねーわ!」と思う方すいません(笑)
前置きが長くなりましたが百合に深い関係があるエスについて語っていこうと思います。
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エス文学の特徴
大きな特徴は女子高独自の文化であると言えます。
女性だけが存在していて、後輩が先輩に敬意や親愛の感情やプラトニックな恋愛をするなどですね。
いわゆる昔の百合作品で良く見る「お姉さま!お慕いしとうございます」という様な
閉鎖的な空間で、下級生や上級生の間で独特な文化でコミュケーションをするという特殊な環境だと言えると思います。
「特殊な環境でも恋愛ならGL(ガールズラブ)じゃん」と思う方もいらっしゃると思いますが、エスの特徴として同性愛ではない一過性の恋愛が指摘できます。
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GLと大きく異なる部分
19世紀初頭ぐらいに女子高における女性同士の心中が当時社会問題になっていてエスもその流れを汲んで発展した訳ですが、
当然女子高であれなんであれ、
環境が違っても女性の同性愛者レズビアンの方はレズビアンですので、
エスという文化の中にもレズビアンの方はいらっしゃったと思います。
しかし女性の同性愛者であるレズビアンの方や、同性愛に対する理解とは関係なくエスという概念は進んでいるのです。
どういうことかというと、レズビアンやバイセクシャルではなくてもエスという特殊な環境や文化の中であれば、女性同士の恋愛やそれに近いことをしてもおかしいことではないという事なのです。
問題は環境や文化の中であれば、という事でその環境が例えば女子高であれば、
女子高を離れてしまえば女性同士の関係性や恋愛なんて環境から離れた段階でおしまい。という事です。
エスは同性愛と反対しています。
なぜならレズビアンの方は環境や文化など関係なく女性を愛します、一過性どころか一生一緒にいたいと願う方もいるかと思います。
しかしエス文学は所詮恋愛ごっこでありそれを皆分かってて楽しんでるだけだと言えると思います。
結局女子高を卒業したら男性と付き合い、エスという文化や環境で恋愛ごっこをしていた事を、
「あの頃は若かったよね~気の迷いだよ」みたいな事を全員ではないと思いますが経験した方は言ったり、エス作品のキャラクターが言ったり表現する事があります。
更に根拠を付け加えるならば、エス文学の多くは悲恋作品です。
男性同士や女性同士の恋が実る事はそんなにおかしい事でしょうか?と個人的に思います。
GL(ガールズラブ)作品は同性愛そのものだと言えますが、エス文学や作品は同性愛でもなんでもなく男女の恋愛を擬似的に女性としているだけなのです。
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まとめ 歴史はあるが百合の中でも特殊
記事冒頭のバターとマーガリンに例えて書きましたが、GL(ガールズラブ)とエス文学は性質がまったく異なります。
エスはあくまで異性愛の価値観が強く、同性愛であるレズビアンやGL(ガールズラブ)の理解から程遠い価値観だと感じます。
しかしそれでもエスが好きな方や、エスも百合なんだよとおっしゃる方もいらっしゃるので、エスも百合の中にあるんだなと感じています否定はしないです。
以前の記事でも書きましたが百合という言葉は形骸化しているというのが当ブログの一貫している主張だからです。
あえて言うならばエス文学は歴史もありますし、こういうものだ!というのがハッキリ分かるので、
百合の中から細分化して言語化というよりも、エスというジャンルであるという事を貫いて欲しいですね(笑)
間違ってもエスとはGL(ガールズラブ)であるという言葉は見たくないですね個人的には。
今回はここまで!ここまでご覧くださりありがとうございます!それでは