百合の芸術性について
どうも!ユリテラと申します。
今回は百合の芸術性について書いていこうと思います。
個人的に思う事は、あらゆる作品に芸術性を持たせることが可能なのかも?
という事ですね、あらゆる作品とは文化そのものです。
意味がわからない!という方に向けて説明いたしますと、
自分はとある百合作品を見て、あれ?百合って芸術的な観方も出来るかも?
と思ったので、今回の記事を書いている訳ですが。
(とある百合作品は当ブログに2回もしつこく書いてしまった作品です(笑))
百合の芸術性を書いていこうと思います。
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「好き」や「愛してる」等の言葉は必要ない
愛を語るのに、愛という言葉を語る必要はないという事です。
自論なのですが(笑)言葉は基本的に虚無だと考えていて、言葉に意味はあるのですがその言葉が本当に届いているのかはまったく別だと考えています。
例えばAさんがBさんに、「好き」と言っても、
どのくらい好きなのかはまったくわからない上に嘘である可能性も考える事が出来る訳です。
ではどうすればいいのか?それは行動だと考えています。
個人的に尊敬する哲学者の方は沢山いらっしゃるのですが(笑)
言葉の重みは、人生そのものにあります。
何故この言葉が出たのだろう?というのを歴史を辿ると分かってくる事があります。
「人間は考える葦である」
(ブレーズ・パスカルより引用)
個人的に好きな言葉です(笑)
葦とは弱い植物です。多くの人達もまた弱い存在だと個人的に思います。
例えばユリテラこと自分は1人では何もできません(笑)このブログも提供されているから使用できます。
ですが考える葦なのです。
考えた結果、みなさんに情報を提供できますし、
「この百合作品は面白い!」と文字として書くことが出来ます。
この”文字”というのは言葉です。
しかし”文字を書く行動と話す行動”は別だと考えています。
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話す行動は本質的
なんだかややこしい話になってしまっている可能性はあるのですが(笑)
「好き」という言葉を話す方の行動が、想いの根源かな?と思います。
作品で例えるとどういうストーリーがあって、どういう経緯を得て、その言葉が出たのか。だと思います。
- ストーリー
- 経緯
- 言葉
この3つが大事だと個人的に思います。
抽象的な話になってしまっているので、
とりあえず大樹の都を例に出します(3回目になるぞ(笑)
まずストーリーですが、船団に派遣された2人組みの話です。
経緯ですが、船団と連絡が取れません。
言葉ですが、うーん難しいですが(笑)「いままで通り2人ならきっと大丈夫」です。
全て1つの線だと言えます。この3つの内どれかが欠けていたら、
おそらく想いはより抽象的になると思います。
つまり「分かる人には頑張れば分かるような分からないような」
という、より複雑な作品になると思います(笑)
そして話す行動は全てセリフや表情、しぐさ、心理描写に表れていると思います。
(書いてて思ったのですが、本当に分かる方しか分からない記事になってますね(笑))
百合作品の芸術性は説明がある程度できる作品だと思います。
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まとめ 芸術は難しいです
簡単に言えばユリテラシーです!(思考停止(笑))
作品のキャラクターの心理描写を辿ります。
そして作家様の思念を辿ります。
哲学をご存知でないと理解しづらい記事になったかもしれないです
(勿論知らない方にも向けて簡潔に書いているつもりではあるのですが)
個人的に
「最終的には一枚の絵で想いは表現できる」
と考えていますが、表現する事も難しいですし、思念を辿るのも難しいのであまり考えない方がいいかも知れません(笑)
今回はここまで!ここまでご覧くださりありがとうございます!それでは